Myお気に入りvol.4

2011/03/29

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ヒョウ柄の箱の中身は、「マダムシンコ」の人気スイーツ「マダムブリュレ」です(*^_^*)

先日この「マダムブリュレ」の生みの親、川村信子さんのこれまでの人生が、関西ローカルのTVで紹介されて

いるのを見て、久しぶりに購入しました(^.^)/~~~

1日に1500個も売り上げる人気のバウムクーヘンで全国各地からもお取り寄せの注文が殺到している。
バウムクーヘンの箱もヒョウ柄なら、作った方も全身ヒョウ柄。そのド派手な女性が人気バウムクーヘンの生みの親、マダムシンコこと川村信子さん(59)。
年商13億円、愛車はベンツ!スウィーツ店「マダムシンコ」を6店舗、焼肉店を1店舗、自然食レストランを1店舗経営。
スウィーツ店「マダムシンコ」は2006年にオープン。
6店舗全てのバウムクーヘンを「アトリ工店」の工房で焼いている。
夫で社長の幸治(こうじ)さんはなんと20歳年下。
帰宅後も夫と2人で新作の試食やバウムクーヘンのおいしい食べ方の研究。
さらに日本各地に出展しているデパート催事の売り上げ報告のチェックなど、まさに一日中働きっぱなし。

川村信子は島根県で韓国人の両親の元、在日2世として生まれた。
父の仕事が起動に乗り、10歳で大阪へ。
貧しさからは脱したが、韓国人というだけで酷いいじめを受けた。
母が用意した50万円を元手に21歳で喫茶店を始める。
すると接客の才能を発揮し、26歳で高級クラブを持った。
1989年、37歳で単身上京。
飛び込みで探した店で、4ヶ月でナンバーワンに上り詰めた。
上京して9ヵ月後、38歳で独立。
高級クラブ「銀座クラブ信子」をオープンした。
その信子の店にボーイの面接で来たのが幸治(こうじ)さん。
当時信子43歳、幸治さん24歳。
幸治さんがシンコの鞄持ちをするようになり親しい間柄になった。
しかしバブルが崩壊し、1998年、47歳で大阪に戻った。
大阪に戻った2人は焼肉店をオープン。
銀座のプライドを捨て2人で第二の人生のスタートラインに立った。
しかしまたもや時代が彼女を翻弄する。
2001年の狂牛病問題で客足はぱったりと止まった。
そんな苦しい時代も支えあった2人は2002年に結婚。

しかし追い討ちを掛けるかのように、2人の原点である焼肉1号店が全焼する家事が起きた。
人生の活路を見出したいーその時思い出したのが子供時代の憧れだったバウムクーヘンだった。
何も知らないスウィーツ業界で、2人はもう一度人生のスタートを切った。
当時信子は54歳。

後戻りできない不安を抱え、2006年11月、洋菓子・喫茶店「マダムシンコ」オープン。
子供時代の憧れ:バウムクーヘンと母が作ってくれたホットケーキ、そして自分の好きなクレームブリュレ。
この3つを合わせたものを作りたいと研究を重ねた。
そしてたどり着いたのが「マダムブリュレ」。
生地にはホットケーキのようにバターを多く使い、焼き上げたあと、メープルシロップを染み込ませる。
表面はブリュレのように砂糖をまぶし、焦げ目をつける。

パッケージの中には、研究を重ねたオススメの食べ方を記した紙が添えられている。
今ではこの「マダムブリュレ」が1日1500個を売り上げる一番人気の商品。
成功をつかんだ今でも必死に生きているマダムシンコ。
それは山あり谷ありの人生を必死に生きて乗り越えたから。

そんな彼女のバウムクーヘンは美味しいだけじゃない、心を満たしてくれるバウムクーヘンだった。

今、東日本大震災で 被災を受けた地域の一刻も早い復興を、日本国民全てが望んでいます。

この時期だからこそ、七転び八起きの不屈の精神のマダムシンコこと川村信子さんの人生秘話

に、勇気づけられました☆彡

人生あきらめたらアカンで!!って言われてるようです。。。。。

この「マダムブリュレ」は冷凍でも、冷蔵でも、またレンジでチン!しても.......美味しいんです(*^_^*)

少人数の家族でも、一人暮らしの方でも、無駄なく長く楽しめるんですよね(^.^)/~~~

この色んな食べ方を楽しめるのも「ナニワの女実業家」ならでは!ですよね

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